あるまじろ日記

武装はそこそこに、ちいさいものです。

2018年になりました

気づいたら半年振りの更新。

 

昨年の後半はなんだかよくわからないうちに慌ただしく過ぎ去って行きました。仕事はそこそこのトラブルをほどほどの頻度で抱え、それなりに怒られ、それなりに励まされ、とりあえず乗り切ったような気持ち。「大丈夫、よく頑張ってるよ」と言われるたびに「いや結果が出てなきゃただの要領悪い人ですよ」と情けなくなりつつものうのうと生きています。

 

のうのうと生きています。

3年くらい付き合った(ただし年に数回しか会っていなかった)人とも晴れてお別れし、ひとりでのびのびと好きなことをして暮らしています。時間を気にすることなく仕事とか英会話スクールとか買い物とか散歩とか。恋人と呼べる人がいない、という状況は久し振りで、大変自由に過ごしています。もっと寂しくなるかと思ったけど、そうでもなかった。ひとりで寂しいの方が、誰かと一緒にいるのに寂しいよりずっと良い。そう思いながら男の人が部屋に来るのを拒まないのは矛盾しているようにも思うけれど、まあ仕方ない。

 

好きなひとがその人の意思でわたしのところへ来てくれるのに、どうして拒否したりできるでしょう。抱きしめてくれるひとを抱きしめ返す以外に何ができるというのでしょう。

 

今年の抱負は「思いわずらうことなく愉しく生きよ」。

のびやかに生きたい。

ちりちり燻って消えてしまえ

1年くらい前まで、短歌を作るのが好きで。それがいつからかことばがぜんぜん出てこなくなって、作れなくなってしまいました。なんにも言葉を思いつかない。思っていることはあるはずなのに。

それが今散文でも起きていて、毎日いろんなことを考えてぐるぐるしているのに、文字にしようとするといなくなってしまう。それでこの日記も書けないまま時が過ぎて行く。ていうかいろんなことをしないまま時が過ぎて行っててまずい。外国に逃亡して二度と帰ってきたくない。それかもう実家に帰りたい。

職場で頭が痛くなって、そんな日に限って頭痛薬を切らしていて、もう嫌になったのとそんな状態で仕事もできないのとで帰ってきました。と言っても19時までは残業してたわけですが。23時前にごはんもお風呂も済んでいるというのはすごいことよ。最近眠りが浅くて何度も夢を見るせいか毎朝疲れているので、今日はなんとか早めにぐっすり眠りたい。そろそろ整体に行きたいけれど休みがなくってやんなっちゃうわ。髪も切りたいわ。ストロベリーフィールズのワンピースもほしいわ。

 

ボーナスが入ったところで、使う暇もそんなにないんですよねぇ。

現実で生きるために読書

毎週毎週休日出勤というのはなかなかにつらいのね。仕方ないんだけどね。この分の代休がいつ取れるのかは不明です。平日で終わらないから休日に仕事してるんだもの平日休めるはずもない。という考え方がいけないのかもしれないが。

 

このあいだ先輩に伊坂幸太郎を勧められて、試しに図書館で借りて読んでみたら見事にはまってしまいました。仕事してないときは大概本を読んでいます。この2週間くらいで4冊。「死神の精度」、「フィッシュストーリー」、「ゴールデンスランバー」、「アヒルと鴨のコインロッカー」。はずれなし。どれも先が気になってやめられない。先週は寝つきが悪いのにかこつけて毎晩遅くまで読んでたり。ミステリーというのかサスペンスというのか、とにかく「物語にのめり込んで、読み進めることを楽しめる」小説なんだけど、ただそれだけで「一度読んだらおしまい」にならないのがまた良い。登場人物たちの言葉、考え方、そういうものを留めておきたい。そう思えるから読んでよかった。

 

いま手持ちの本は全部読み終えたので、また借りに行かなければ。このどうしようもない世界からひと時抜け出すために、小説はあるのだと思うのよ。

繁忙期だから、で片付ければいい

昨日は急遽出勤になったため、今週のお休みは今日のみでした。映画を2本観てアイスを食べました。簿記の勉強を少しだけして、図書館で借りた小説を読みました。明日から月曜だ、と思わないように過ごしていたけれど、やっぱり考えずにはいられなくて、夜になってなんだか30分ほど泣いていました。そもそも一重なのにさらに腫れぼったくなるまぶた。明日なんて来なければいいのに。

 

どうしてもやりたいことがあるわけでもないので、不本意なことをやらされるのはまあ仕方ないことと思っています。お給料をもらっていますから。ただ辛いのは、いつまで経ってもちゃんとした居場所がないような、いつまでも認められていないような、ふわふわした足場になんとかしがみついているような、そんな気持ちのままであるということです。こちら側にも属せず、かといってあちら側でもなく。努力次第と言われればそれまでですが、性別による壁は自分一人の意識ではなかなかというか全く越えられないのだという発見をこの2年ほどで致しました。

 

嫌なことばっかりだけど、とりあえず生きてます。

抜けない怠さ、終わらない今日

毎日ほとんど座りっぱなしで足がむくむむくむ。家に帰ってスクワットしたりストレッチしたりして、お風呂もちゃんと浸かってるけど翌朝にしっかり疲れを引きずっています。木曜日。気休めにチョコラBBを飲んで眠る。最近またうまく寝付けないし、やっと眠れても忙しい夢を見るせいで目覚めた時すでに疲れている。困ったことです。

 

わたしをこの世に引き止めるものがなんにもなくなったら、いつだってここからいなくなるのに。いきなりいなくなったら悲しんでくれてしまう人がいるから、こうやってどうにか生きているだけで、それがなければすぐにでもやめてしまいたい。「生きなければ」とは思うけど、「生きたい」とは思わない。生きている限り辛いことはなくならないから。みんな本当はそう思っているんじゃないかと考えているんだけど。それとも本当に、心から、なんの疑いもなく、生きたい、死にたくない、って思っているのかしら。

そうだとするなら、この心にはかなりの欠陥があるということでしょうか。生物として。

一旦いろいろ忘れたい

本日は出張につき携帯をいじる暇がある。さすがに在来線でPCは開けない。

 

ここのところ、っていうかたぶんこの半年くらい、トラブルが続きすぎて毎日消耗している。これが済んだと思ったら別のトラブル、と思えばこの前のあれもぶり返す、というように、いろんなものがのしかかってくる。自分のミスが火種のものもあるので自業自得ではあるけれども、そこはかとなくとばっちりの火消し要員でもあり、通常の業務もあり、先輩から降ってくる仕事もあり、でまったくもうです。いっそ気が狂ってしまえば楽なのではないかしらと思うほど。

 

こうやって書いてると落ち着いてくるから、もやもやは出力した方がいいのでしょうね。ストレスの原因ばかり入力してたら身がもたない。残念なことにいま周りに話せる人がいないので、こうやってインターネットの大海にもやもやを流してみています。

 

この世はいつまで続くのでしょう。

たとえばきみが

毎日まいにち仕事に行って、疲れて帰ってきて、勤務時間外にも仕事のことがつい気にかかってどんよりする。連休は嬉しいけど、そのために納期や締切が早まったり、休み明けのプレゼンにかけられる時間が減ったりするのでちょっと嬉しくない。なにこれ。

いまこうやって働いているおかげで、欲しいものは(もちろん慎ましいものですが)大概買えるし、きちんとした家に住んで毎日ごはんが食べられる。だけどたとえば、もう少し小さくて古い家に住んで、もう少し「ちょっと贅沢」をなくしたら、もう少し心に余裕をもって生きていられるのではなかろうか。季節が変わるのを風の匂いで、太陽の光で知れるような生活ができないものか。

自分一人だけなら、田舎で半分自給自足みたいな生活できないかな。なんて考えたりする木曜日。

もやもやするので早く寝よう。